クモランの欺瞞作戦:オスバチ誘引戦略の遺伝子レベルの進化

研究

オスバチを誘引するクモラン

クモラン (Ophrys sphegodes) は、ヨーロッパや中東を原産とするラン科の植物です。特徴的な花弁を持ち、オスバチを誘引することで受粉率を高める、非常に興味深い植物です。

クモランの花弁はメスバチに似ているだけでなく、オスバチを誘引するための多様な戦略が隠されています。例えば、クモランはメスバチが放つフェロモンに似た物質を作り出し、オスバチを引き寄せます。香りだけでなく、花弁の色もオスバチの体色に似せることで、さらに効果的に誘引しています。

このようにオスバチを引き寄せるための機能を持ちながら、クモランの花は、誘引に必要ない芳香成分や紫外線反射パターンに多様性が見られます。これは、オスバチが特定の花を覚えてしまい、再び訪れなくなることを防ぐためだと言われています。

オスバチを誘引するための基本的な機能を維持しつつ、多様性に富んだクモランの花が遺伝子レベルでどのように進化してきたのかが調査されています。

引用文献:Genome of the early spider-orchid Ophrys sphegodes provides insights into sexual deception and pollinator adaptation

https://www.nature.com/articles/s41467-024-50622-4

遺伝子の転移がクモランの多様性を生み出した

クモランのオスバチ誘導のための機能は非常に複雑です。メスバチに擬態しながらも、花として多様性を持つことで、オスバチにとって魅力的な存在となっています。これを実現したのは、数万年にわたる進化の成果です。

クモランの遺伝子を解析した結果、芳香成分や花の形に関与する遺伝子に「トランスポゾン」が関与していることが判明しました。トランスポゾンとは、特定の遺伝子配列で、遺伝子内に挿入されたり、別の場所に移動したりすることができます。特定の遺伝子に挿入されると、その遺伝子の機能が変わったり、場合によっては失活することもあります。一方、トランスポゾンが抜けると、遺伝子の機能が復活し、香りや花の形が変わることがあります。

トランスポゾンは遺伝子上に多く存在し、複製や転移を繰り返すことで、植物の形質を遺伝子レベルで変化させます。例えるなら、設計図に「書き足し」をしたり、すでに書かれていた部分がごっそり抜けたりすることで、最終的に複雑な変化が生じるようなものです。

クモランの場合、数百万年かけて設計図が書き足され、削除されることで、多様な形質を持つ複雑な属へと進化してきました。

数百万年の遺伝子変化:氷河期の遺伝子増加が明らかに

近縁種の遺伝子の違いを調べることで、そのグループにどのような遺伝子変化が起こったのかを推測できます。クモランの場合、数百万年間にわたる進化が遺伝子の比較から明らかになっています。例えば、490万年前のクモランは、スズメバチによって受粉されていた可能性があり、その後ハナバチによる受粉に移行したと考えられています。そして、今から100万年以内にクモランの遺伝子が急激に多様化し、種が増加しました。この期間はヨーロッパや中東が氷河期と間氷期を経験した時期であり、過酷な気候条件に適応するためにクモランは自身の遺伝子を急激に多様化させました。この遺伝子の多様化が、多様な形質を生み出し、さらにトランスポゾンによる変異が加わることで、非常に複雑な種構成となったと推測されています。

クモランに潜む育種の可能性

数百万年にわたる自然界での遺伝子変化が、現在では推測可能になりました。クモランの多様性は、遺伝子の増加とトランスポゾンによる変異が複雑に絡み合った結果です。クモランに限らず、トランスポゾンによる遺伝子変化は様々な植物で起こっています。これまでの育種では、1つの遺伝子変異による品種改良が主流でしたが、クモランの例を見ると、複雑な遺伝子相互作用を利用することで、さらに多様な品種を作り出す可能性があると考えられます。

今後、育種の次元はさらに向上するかもしれません。多様な遺伝子の組み合わせを予測することは難しいですが、機械学習やAIを活用しながら、新しい品種を創出することが、主流となる日も遠くないと思います。

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