近年、夏の暑さは記録を塗り替え続けています。今年も例外ではなく、全国で観測史上最高気温を更新する地域が相次ぎ、農作物や家庭菜園へのダメージが深刻化しています。葉が焼け、花が落ち、実の肥大が止まる——こうした光景は、農家にとっても家庭菜園愛好家にとっても他人事ではありません。高温障害は単なる一過性のトラブルではなく、収量や品質の低下を招く深刻な課題です。そのため、多くの人が「何か有効な予防策はないか」と模索しています。そんな中で、クロロクエストの過去記事でも反響の大きかったテーマが「低濃度エタノールの散布による植物の耐熱性強化」です。今回は、この方法がなぜ効果を発揮するのか、どのような条件で試験されてきたのか、そして現場でどう応用できるのかを、最新の研究成果とともに掘り下げます。
※過去に理研の研究をまとめていました。こちらも参考に。

実験の背景と試験設計——“お酒の力”で作物を救え?
植物にエタノール(EtOH)を与えて耐性を高めるという発想は、化学プライミング(Chemical Priming)の一種として近年注目を集めています。化学プライミングとは、ストレス本番の前に低レベルの刺激や化合物を与え、植物の防御機構を事前に「起動」させておく手法です。
代表的な試験は、日本の理化学研究所がトマト‘Micro-Tom’を用いて行ったものです。ここでは、20 mM(約1.17 mL/L)という低濃度エタノールを、3〜6日間、根から吸収させる処理が行われました。その後、50℃という過酷な熱処理(2.5〜4時間)を加え、葉の成長や果実形成への影響が評価されました。結果として、未処理区に比べて葉のダメージが軽減し、着果数や果実重量が有意に向上しました。

研究事例と耐熱性評価のアプローチ例
エタノール耐熱プライミングは、トマト以外にもシロイヌナズナ、イネ、コムギなどで試験され、共通して次のような作用が観察されています。
- UPR(Unfolded Protein Response)の活性化 — 高温下ではタンパク質が変性しやすくなります。エタノール処理は小胞体ストレス応答(UPR)を誘導し、BiPやHSP(ヒートショックプロテイン)などの保護タンパク質を事前に増やします。
- 糖代謝の変化 — エタノールは体内で酢酸や糖へと代謝されます。この過程でトレハロースや可溶性糖が増加し、細胞の浸透圧調整やエネルギー供給に寄与します。
- 抗酸化酵素群の活性化 — 高温で発生しやすい活性酸素(ROS)を消去するため、カタラーゼ(CAT)、アスコルビン酸ペルオキシダーゼ(APX)などの酵素が誘導されます。
評価は、熱処理後の緑葉面積、地上部乾燥重量、果実数、光合成効率(Fv/Fm)といった形態・生理指標を組み合わせて行われます。さらに分子生物学的には、遺伝子発現解析や代謝プロファイル解析が耐性の根拠を裏付けています。
学術研究結果の概要
各研究を総合すると、20〜50 mM程度の低濃度エタノールを事前に処理すると、高温暴露時の生育ダメージが軽減されることが明らかです。トマトでは着果数が増加し、葉の黄化やしおれが抑えられました。シロイヌナズナでは、エタノール処理によりUPR遺伝子群(bZIP60経路など)が活性化し、耐熱性が向上しました。イネやコムギでは、乾燥耐性や塩耐性の向上も副次的に認められています。一方で、高濃度(数% v/v以上)では逆に発芽抑制や生育阻害が起こるため、濃度管理は極めて重要です。
論文ベースの考察(研究知見の総括と解釈)
これらの結果は、エタノールが単なる代謝基質にとどまらず、植物のストレス応答ネットワーク全体を精緻に調節する“シグナル分子”として機能していることを明確に示しています。具体的には、UPR(小胞体ストレス応答)を介したタンパク質品質管理システムの強化により、高温で変性しやすいタンパク質の構造と機能が維持されます。同時に、糖・酢酸代謝経路を通じて可溶性糖や有機酸の蓄積が促され、エネルギー再配分や細胞内浸透圧の調整が行われます。さらに、抗酸化系(APX、CATなど)の事前活性化が起こり、熱ストレスに伴う活性酸素の急増を抑制します。これらの複合的作用により、光合成効率や代謝活動がストレス環境下でも長期間維持されるのです。ただし、こうした効果の大きさや持続期間は植物種・品種・発育段階によって異なり、栽培条件や処理タイミングも影響します。そのため、現場応用においては作物ごとに小規模試験を繰り返し、濃度・処理方法・施用時期を精密に調整することが不可欠です。
クロロクエスト的視点と現場での応用
本テーマが面白いのは、「農薬登録外の物質で、植物の持つ耐性スイッチを押す」点です。エタノールは食品や医療にも広く使われる低毒性物質で、取り扱いや入手も容易。ただし農産物への利用は規制や残留基準の確認が必要です。家庭菜園レベルなら、猛暑が予想される3〜5日前に、20 mM(約1 mL/L)溶液を株元に灌注する方法が実用的です。葉面散布の場合は界面活性剤(例:Tween-20 0.05〜0.1%)を併用すると効果が安定します。農家向けには、ハウス栽培での高温期対策や育苗期のプライミング処理が特に有効と考えられます。既存の給液システムにエタノール溶液を組み込むことで、作業負担を最小化できます。
まとめと今後の展望——Plant hack!
エタノール散布は、低コストかつ低リスクで耐熱性を引き上げられる可能性を持つプラントハックです。今後は、以下の方向での研究が期待されます。
- 作物別・品種別の最適条件マップ化
- 他の化学プライミング剤との併用効果検証
- 圃場スケールでの経済性評価
- ストレス種(高温+乾燥など複合ストレス)への適応性確認
猛暑が日常化しつつある時代、こうした科学的知見をいち早く現場へ届けられることが重要です。「研究室の発見を畑の武器に」——それが、未来の農業を守るための一歩となります。

参考文献
- Todaka, D. et al. (2024). Application of ethanol alleviates heat damage to leaf growth and yield in tomato. Frontiers in Plant Science, 15:1325365. https://doi.org/10.3389/fpls.2024.1325365
- Matsui, A. et al. (2022). Ethanol induces heat tolerance in plants by stimulating unfolded protein response. Plant Molecular Biology, 110(1–2), 131–145. https://doi.org/10.1007/s11103-022-01291-8
- Nguyen, H.M. et al. (2017). Ethanol Enhances High-Salinity Stress Tolerance by Detoxifying Reactive Oxygen Species in Arabidopsis thaliana and Rice. Frontiers in Plant Science, 8, 1001. https://doi.org/10.3389/fpls.2017.01001
- RIKEN CSRS Press Release (2024-02-19). Ethanol increases high temperature tolerance in tomato plants. https://csrs.riken.jp/en/topics/press/press20240219.html
- Das, A.K. et al. (2022). Ethanol Treatment Enhances Physiological and Biochemical Responses to Mitigate Saline Toxicity in Soybean. Plants, 11(3), 272. https://doi.org/10.3390/plants11030272
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