アメリカのイチゴの収量は1960年代から2755%増加。
いちごは世界で作られる作物ですが、その生産量は穀物には及ばないものの、大量に作られています。その収量は1960年代以降伸び続け、現代においては1960年代の27倍もの生産量になっています。イチゴの育種は古く、300年間の歴史を持ちますが、その中で収量が急激に増加し始めたのが、所謂「緑の革命」の時代と重なります。緑の革命では主に穀物に焦点が当てられがちですが、イチゴはビタミンの補給源であり、人々の生活に与えたインパクトは大きいものと考えられます。何がそんなにイチゴの収量を増加させたのでしょうか?
Genetic gains underpinning a little-known strawberry Green Revolution
収量Upは地道な育種の賜物だった。
1960年代以降にイチゴの収量に寄与したのは育種です。特に大きな転換種となったのが光周期に影響されない「永久開花雑種(PF種)」ができたことです。PF種は日の長さによって開花量が変わることが無いため、安定した開花が見込めます。開花した花が果実になることから収量が伸びます。また、育種によって「腐敗しやすさ」「酸味」が減少していました。一方で「甘み」も減少していたようですが、おそらく酸味が減少したことで相対的な甘さは増したのではないかと予想されます。
興味深いのは、アメリカのイチゴの栽培面積が減少していたことです。国際連合食糧農業機関(FAO)の試算では、1961 年以来、年間生産増加量はアメリカ が22,215 トン/年、ヨーロッパ は26,782 トン/年となっています。この収量を達成したプロセスはアメリカとヨーロッパで全く異なります。ヨーロッパでの生産増加は「収穫面積の398%増加」と「収量の1%減少」によって達成されましたが、アメリカでの生産増加は「収量の2,755%増加」と「収穫面積の17%減少」によって達成されていました。いかにアメリカの品種の収量が「育種」により増加したのかがよく分かるデータです。
アメリカのイチゴは病気には弱くなっていた。
収量がアップしたアメリカのイチゴですが、土壌伝染性病原体への抵抗性が低下していました。バーティシリウム萎凋病とフィトフトラ根腐病はイチゴの代表的な土壌伝染性の病気です。れらの病気は、抵抗性の根底にある遺伝的メカニズムが複雑で、どちらも最初に報告されたのは 20 世紀初頭であり、1世紀以上にわたってイチゴの植物枯死と収量損失を引き起こしてきました。育種により緑の革命初期には一旦これらの病気に強い品種が出現しますが、その後、耐性品種は減少していきます。
なぜ病気に弱くなったのに収量がUpしたのか?これは栽培方法の改良が要因です。緑の革命時には様々な農業技術が開発されています。土壌伝染性の病気に対しては、1960年に土壌の「臭化メチル燻蒸」が導入されて依頼、これらの病気は収量に大きな影響を与えなくなりました。つまり、育種における病気耐性の優先度が下がり、その後の育種では耐性品種が減っていたと考えられます。
「量と質」両取りの育種時代が到来か?
1960年代以降の「緑の革命」は穀物だけでなくイチゴの収量もUpさせていた事を研究を通して実感できます。アメリカでもヨーロッパでも緑の革命以降に収量は伸びていますが、その実現方法は全く異なりました。どちらも成功した育種といえますが、今後の需要の変化で、とれる対応は異なるでしょう。
また、日本のイチゴ育種がどうなっていくのかも興味が尽きません。日本のイチゴ品種のクオリティは世界トップレベルで、海外にも多く輸出されています。海外での種苗権の問題などクリアすべき課題はありますが、豊富な育種母材は一朝一夕には真似できないものだと思います。高齢化など人口動態が変わるなか、量より質の品種が求められる傾向のように感じますが、2023年に登録された埼玉県の新品種は「量と質」の両方を担保する素晴らしい品種でした。すでに1段上の育種が始まっているのかもしれません。
コメント